戦士ではなくても、無能力でも、超越自我というのがあり最後にやられそうになったら、世界に向けて呪いの言葉を発すると良い。それがあなたの権能であり、育めば世界を幸せにできる能力なのだと愚かなる外宇宙生命体に天罰を与えるという考え方。僕の特性は基本雷なんで、この世の水分を全て特殊な電磁場で沸騰させて、脳を弾く、虚無魔法バニッシュというのを準備している。願いであり呪いだな。そうなってくれればきっと世の中良くなるという。世界を呪えば人類全体に反映される、そして水という基本元素を呪えばきっとあらゆる生命は耐えられない。人を呪い殺すではなく、世界の根源を呪う。人にはその可能性が眠ってる。
魂の研鑽
私は肉体とは別に魂に能力が宿るとは考える。人は根源を持って生まれる、そしてずっと自分のことを追い続けてるんだと、他人に興味を示さずに、でも僕の場合は少し違って、比べるとレベル差を感じて落ち込むんで、自分のことを精一杯やろうとは思うけどな。人と交流して、何を得て何を失うのか、それが何千年続いてその魂が何になるのか?最終到達点は何なのかがまだわからない。人生なんども繰り返してもまた色々と違っていて、レプリケイターがなかったり、魔法が使えなかったり、前世では大魔法使いなんだけどとか、不便を体験してこの世に何か刻んだら、千年後はその発明がとんでもない、キーパーツになるとか、俺にしかできない王権として初めて主人公みたいなイベントが発生するとかとなる。現代ではモブで何の作用もないが、なんか刻むことで死後なんか生きる。刻むとは組織運営だったり、発明だったり、無限の可能性の種のようなもの。
僕にとっての無限の可能性の未来の一つ
バイオパソコンとしてミルチア政府に保護され、モグラとしてネットワークを作る。これが地球への航路に繋がり、ロストエルサレムやアベルの船に侵入できる。いわば、神になり得る小さな可能性かもしれない。一万年も書いたプログラミングが今現代に帰ってきたと考えていい。そこに嫉妬や不愉快はない、全ては絶対不変未来と、努力のたわもの。古代地球人として、なんか未来も混じってるが、地球のゾハルにとってなんか一歩踏み出せたと思う。そして皆が何を望み何をなすのか、人類は何になろうとしてるのか、まだわからない。
記憶の必然と偶然の重なり
記憶にはあるし未来視でもわかるけど、動かないものは動けない。そして偶然の積み重ねがなんか起きるとだけとなる。
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